Thursday, November 24, 2011

Happy Thanksgiving! (and an essay entitled "Why is Thanksgiving Special to Us?")

I thought it'd be nice to have a little hand-out that would explain a bit about the history and meaning of Thanksgiving - and I could share it with friends as we gathered for various parties this week.  Man, it's been some good eating too.

I know the English level of it is often rather advanced, but my friend was kind enough to translate it into Japanese (気は心!).  It's worth mentioning that I think the first time I heard of the part about tying together the God who sent kamikaze against the Monguls was in David C. Lewis' insightful book, "The Unseen Face of Japan", pages 304-306.


You can click below to view the rest in a separate document since it's too long I think for a regular post and this way it's easily printable. For the Japanese version, it was so terribly frustrating working for hours on trying to get the formatting right on Google Docs (with their 2MB limit), that I just decided to put the whole thing up directly.  I'd love to hear your feedback!


Why is Thanksgiving Special to Us?

You remember the story, right?

The Pilgrims were a group of Christians in England who committed to live their lives based on the Bible and a relationship with God.  They were persecuted by the legalistic religious and political authorities and in 1609 decided to leave their country.  They fled first to Holland and then later to the New World – America, at that time a dangerous voyage to an unknown wilderness.  In that harsh climate, nearly half of them died off in the first winter.

One day, an Indian warrior walked into their Plymouth settlement...
The rest of the story (English version)

どうして私たちにとってサンクスギビングは特別なのでしょう?

この話を覚えていますか?

“ピルグリム”は、聖書と神との関係に基づいて生活し聖地を旅するイギリスのキリスト教徒のグループであった。彼らは律法主義の宗教的、政治的当局によって迫害され、1609年に彼らの国を離れることにした。彼らは最初オランダにのがれたが、そののち新しい新世界-アメリカに渡るのである。アメリカはその当時はまだよく知られていない未開の地であり、その航海は危険なものであった。その過酷な気候で、彼らの半数近くは、最初の冬に死んでしまった。

ある日、一人のインディアンの戦士が彼らのプリマスの入植地にやって来た。ピルグリムは大変おびえたが、彼は“ようこそ”と英語であいさつしてくれた。そしてイギリスの貿易商に奴隷として人身売買され英語教育を受けた、Squantoという友達を紹介してくれた。Squantoはイギリスの地でキリスト教徒になり、他のキリスト教徒の助けを借りて故郷に戻ることができたのだ。彼らインディアンは、その気候に適した家の建て方や穀物の植え方などを彼らに教え、ともに働いてくれた。
1621年収穫を迎えたピルグリムは、豊かに実った作物を刈りいれながら、“インディアンは、神様が我々に与えてくださった、期待を越える特別な楽器なのだ”と気がついたのである。彼らは神をあがめ、聖書にあるように、盛大にごちそうをし、ともに祝った。

また同様に、このことを我々は忘れてはいけない。“何事も思い煩ってはならない。ただ、事ごとに、感謝を持って祈りと願いとをささげ、あなた方の求めるところを神に申し上げるがよい”(ピリピ4:6)。
*テサロニケ5:16-18、詩篇100も参照してください。

ですので今回は、サンクスギビングをお祝いするにあたって主に3つの事柄:歴史、食べ物、家族について述べたいと思います。
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私たちの国、アメリカでは、神が我々を導いてくれているということははっきりしています。今私たちは、いと高き神が、ある地方や地域あるいは国の神などという限局したものではなく、全世界、すべての人々の神であること知っています(人々がこの考えをを認めるかどうかによる)。

聖書ではこう説明されています。“この世界と、その中にある万物を造った神は、天地の主であるのだから、手で造った宮などにはお住みにならない。また何か不足でもしておるかのように、人の手によって仕えられる必要もない。神は、すべての人々に命と息と万物とを与え、また、一人の人から、あらゆる民族を造り出して、地の全面に住まわせ、それぞれに時代を区分し、国土の境界を定めてくださったのである。こうして、人々が熱心に追い求めて捜しさえすれば、神を見いだせるようにして下さった。事実、神は我々ひとりびとりから遠く離れておいでになるのではない。”(使徒行伝17:24-27)

“わたしは主である。
私のほかに神はない、ひとりもない。
あなたが私を知らなくても、わたしはあなたを強くする。
これは日の出る方から、また西の方から、
人々がわたしのほかに神のないことを知るようになるためである。
わたしは主である、わたしのほかに神はない。”(イザヤ45:5-6) 

*イザヤ37:16、黙示録5:9、7:9、ダニエル4:17も参照してください。

歴史は"彼の物語"であり、神は個々の国家を導き形作っています。我々はすでにどのようにアメリカが作られてきたのかを見てきました。神はSquantoを提供することにより、ピルグリムをお助けになりました。旧約聖書は、神がイスラエルの国家を形作り、いとおしみ、そして保護してきた継続的な関与について書かれたものです。しかしながらそのほとんどの時において、イスラエルは神を拒絶し、自分たちの力を過信していました。

モンゴルの侵略という、日本の歴史でよく知られた例を見てみましょう。中国や韓国など、アジアのほとんどを征服したフビライカーンは1274年、次に日本侵略に照準を向けました。日本人は自分たちは戦いに負けると思いましたが、敵であるモンゴルは台風により壊滅してしまいました。モンゴルは次の1281年の攻撃では14万軍というはるかに大きな兵士を集めることにしました。しかしながら再び別の台風が押し寄せ、彼らの艦隊を一掃してしまったのです。日本人はこれを神風、“神の風”と呼びました。

日本ではこのため、神を崇拝する代わりに、雷や風や海の神々を信じるようになりました。聖書では、"風"という言葉は"精神"と同じです。より正確に言えば、神風は、日本の人々を守る神の聖霊だったのです。しかし、それは神が行ったすべてではありません。帝国のもう一方の端では、モンゴルは、現代ロシアと東ヨーロッパに進軍し、ヨーロッパの残りの部分(つまりわたしの先祖)を征服するためにウィーンに移動する準備ができていましたが、この時も、神が再び介入したのです。1241年首都でのオゴデイカーンの死の知らせにより、モンゴルの神聖な王室の法則にしたがって、バーツカーンは軍隊を撤退することにしました。その後1255年、内乱の後、バーツは再度ヨーロッパに攻撃する準備をしていましたが、進駐する前に彼はこの世を去りました。そして再びヨーロッパは守られたのです。

後には、1588年に、スペインの無​​敵艦隊がイギリスを破壊した歴史があります...もちろん、歴史はそのような話がいっぱいですが。(古代中国の言語と先住民族の習慣について書かれている、聖書の物語ドン・リチャードソン“Eternity in Their Hearts”を参照してください)​​。 悲しいことに、イスラエルと日本のように、 アメリカも多くの時において、これら極めて重要な出来事を介して神が手を差し伸べてくれたにもかかわらず、神を拒否するという罪を犯しています。サンクスギビングでは、我々は自分自身を謙虚にもって、神の恵みを覚えておくよう語りかけられているのです。

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サンクスギビングで好きな食べ物は何ですか?

パンプキンパイの山盛りのスライス?マシュマロとヤムイモの砂糖煮(インディアンが昔作っていたような)?それともジューシーな七面鳥の丸焼き?お腹をすかせちゃいました?

今が私の好きな​​季節 -秋の素晴らしい色、 収穫を迎えた畑で積み上げられたとうもろこしの苞(ほう)。 これらはすべて神が私たちの楽しみのために造ってくださったもの -私は彼がどれほど良い仕事をしたのかとつくづく思う!

聖書にはこうあります。“食べ物というものは、信仰があり真理を認める者が、感謝して受けるようにと、神の造られたものである。神が造られたものはみな良い物であって、感謝して受けるなら、何ひとつ捨てるべきものはない”(テモテへの第一の手紙4:3-4)

神に従わなかった人々のグループに対して、パウロは、"...あなた方がこのような愚にもつかぬものを捨てて、天と地と海とその中のすべてのものをお造りになった生ける神に立ち返るようにと、福音を説いているものである。神は過ぎ去った時代には、すべての国々の人が、それぞれの道を行くままにしておかれたが、それでもご自分のことをあかししないでおられたわけではない。すなわち、あなたがたのために天から雨を降らせ、実りの季節を与え、食物と喜びとで、あなた方の心を満たすなど、いろいろの恵みをお与えになっているのである。"(使徒14:15-17)。

旧約聖書では、神がわたしたちの必要とするものを用意してくれているという大切な約束を知ることができます:

シオンの子らよ、あなたがたの神、
主によって喜び楽しめ。
主はあなたがたを義とするために秋の雨を賜い、
またあなたがたのために豊かに雨を降らせ、
前のように、秋の雨と春の雨とを降らせる…
打ち場は穀物で満ち、石がめは新しい酒と油とで溢れる。

あなた方は、十分食べて飽き…
わたしのいることを知り、主なるわたしがあなたがたの神であって、
他にないことを知る。
わが民は永遠にはずかしめられることがない。
ヨエル2:23-24, 26-27

*詩篇104:14-15、申命記11:11-14も参照ください。

私たちの体に栄養を与えてくれる、さまざまなおいしい食べ物を神が継続的に提供してくれることは、本当に素晴らしい贈り物です。我々はこれを認識し、神に感謝の念を表します。

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クリスマスの次に、我々が家族と一緒に全国各地に行く時期の一つです家族と仲が良かろうとなかろうと!しかし大抵は、家族は私達が持っている最高の幸せのひとつです。家族は私たちを知り、他の人がそうでないときにでも、私たちを支えてくれる存在です。あなたが宗教を信じ、教会に行くようになれば、絶対にあなたは自分が愛されているということに気がつくでしょう。これは、あなたに家族の一員であるということがどのような感じであるかを思い出させてくれます。

結局のところ、どのように我々はサンクスギビングで感謝をしめすのでしょうか?

わたしたちが感謝を表すとき、一般的な願いや曖昧で漠然とした希望や、温かい感情というものではなく、わたしたちを造って下さった神に対する明確な感謝の祈りでなくてはなりません。祈りは神とわたしたちをつなげてくれるものです。神は彼の息子や娘として受け入れているわたしたちの祈りに、耳を傾けてくださるのです。

彼は彼の言葉でこう述べています、
“わたしは彼らの間に住み、
かつ出入りするであろう。
そして、わたしは彼らの神となり、
彼らはわたしの民となるであろう。
だから、彼らの間から出て行き、
彼らと分離せよと主は言われる。
そして、汚れたものに触れてはならない。
触れなければ、わたしはあなたがたを受け入れよう。
そしてわたしは、あなた方の父となり、
あなたがたは、わたしのむすこ、むすめとなるであろう。
全能の主が、こう言われる”。 -コリント人への第二の手紙6:16-18

 “彼は世にいた。そして、世は彼によってできたものであるが、世は彼を知らずにいた。彼は自分のところに来たのに、自分の民は彼を受け入れなった。しかし、彼を受け入れた者、すなわち、その名を信じた人々には、彼は神の子となる力を与えたのである。”(ヨハネ1:10-12)

“このことは彼が自分から言ったのではない。彼はこの年の大祭司であったので、預言をして、イエスが国民のために、ただ国民のためだけではなく、また散在している神の子らを一つに集めるために、死ぬことになっていると、言ったのである”(ヨハネ11:51-52)。

*1ヨハネ3:1、イザヤ43:6-7、ガラテヤ人への手紙4:4-6、ローマ8:14-16も参照ください。

祈りは関係に基づいているので、感謝を表すのは、より個人的なものでなければならないし、誠実なものでなければならない-空っぽの言葉ではなく、生き方。 神の前において、わたしたちの言葉と生活は適切な感謝の祈りなのです。問題はその後です:我々は彼にどのような人生をお返しするべきでしょうか?

時々デザートとして私はバターミルクパイを作ります。その材料に4つの新鮮な卵と一つの腐った卵を持っていると想像してみてください。腐ったものは外から いいように見えますが、若干臭いがありますし、自分は中身がだめになっているということを知っています。 まあいいかと– 他は良い卵ですから、 私はそれらをすべて混ぜ合わせ、出来上がったときに誰も悪い卵を使ったと気がつかないでしょう。もし、私が友人や家族にそれを食べさせたら、あなたは私を どう思いますか?私の上司に対してだったらどうですか?

それは、私たちは神に戻って私たちの生活を提示するのと同じ方法です。私たちは、泥だらけの靴で上司の家に入る勇気はない。神は絶対的に純粋で神聖ですの で、彼は"汚い家"に住むはずはない。もし、私たちの心の中に、不純な気持ちや利己主義の心、汚れがあるならば、神は我々の生活を受け入れないということ です。聖書ではこれを“罪”と呼んでいます。

“罪”とはもちろん、銀行強盗などを意味するものではありません。これは私たちの言葉、思考、および行動で彼の名誉を傷つけ、意図的・故意に神と神の道に 反すること意味します。例えば、我々は、貪欲で、自信過剰、嫉妬深く、そして利己的・自己中心的です。私たちがどんなに神を愛し仕えたとしても、遠く及ば ないのです。その上、私たちの最初の祖先であるアダムとイヴが神に謀反を犯したので、生まれつき罪で汚れています。それはちょうど、川の上流でゴミにより 川が完全に汚染されてしまったようなものです。

神があなたを清めるために何をしたか知っていますか?

彼は償いの罪の供え物として御子、イエスを、提供してくださいました。それは、完全に汚れのない、純粋で、潔白なイエスがこの地に降り、ユダヤ人の家族に 生れ、私たちと神との間を仲介してくれたということです。イエスは、十字架の上で私たちの罪と恥と罰を背負って、私たちの身代わりになってくださったので す。

“わたしたちがまだ弱かったころ、キリストは、時いたって、不信心な者たちのために死んでくださったのである…しかし、まだ罪びとであった時、わたしたち のためにキリストが死んでくださったことによって、神はわたしたちに対する愛を示されたのである。わたしたちは、キリストの血によって今は義とされている のだから、なおさら、彼によって神の怒りから救われるであろう。もし、わたしたちが敵であった時でさえ、御子の死によって神との和解を受けたとすれば、和 解を受けている今は、なおさら、彼のいのちによって救われるであろう。”(ローマ人への手紙5:6, 8-10).
*コリントへの第二の手紙5:17-21も参照してください。
 

そして、自分が罪人であることに気が付いている人には良い知らせがあります!もし、自分の古い生活を捨て、イエスが与えて下さった許しと清らかさと自由の生活を求めるのならば、神はあなたをまた彼の家族として受け入れてくれます-すべての権利と恩恵と約束とともに!聖書にあるメッセージは、私たちが嘘や妬みや自尊心であまりにも汚れているので、自分たちで完全に清めることはできないのだということです。しかし、もしわたしたちが、イエスを主であり、救世主であると信じるならば、彼はわたしたちを深く洗い清め、彼に仕え従うべく、私たちに新しい性質/心を与えてくれます。そしてそれにより、彼に値するだけの愛と従順な心を、彼に捧げることができるのです。

聖書で私の好きな​​詩の一つは、次の部分です:

“私は諸国民の中で汚されたもの、すなわち、あなたがたが彼らの中で汚した、わが大いなる名の聖なることを示す。わたしがあなたがたによって、彼らの目の前に、私の聖なることを示す時、諸国民はわたしが主であることを悟ると、主なる神は言われる。わたしはあなたがたを諸国民の中から導き出し、万国から集めて、あなたがたの国に行かせる。わたしは清い水をあなたがたに注いで、すべての汚れから清め、またあなたがたを、すべての偶像から清める。

わたしは新しい心をあなたがたに与え、新しい霊をあなたがたの内に授け、あなたがたの肉から、石の心を除いて、肉の心を与える。わたしはまたわが霊をあなたがたのうちに置いて、わが定めに歩ませ、わがおきてを守ってこれを行わせる。

あなたがたは、わたしがあなたがたの先祖に与えた地に住んで、わが民となり、わたしはあなたがたの神となる。わたしはあなたがたをそのすべての汚れから救い、穀物を呼びよせてこれを増し、ききんをあなたがたに臨ませない”(エゼキエル36:23-29)。

何が感謝の気持ちを表すためのすばらしい贈り物になるでしょうか?もし、このことについて疑問があったり、イエスに従うことは何なのかというような質問がある場合は、ぜひ一緒に語りましょう! すてきなサンクスギビングをお過ごしください

恵みと平安とがあなたがたの上にありますように、
ダニエル

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